お詣りの仕方

お詣りにまつわる素朴な疑問や、いまさら人に聞けないそれぞれの意味などをコラムで紹介します。

 え~毎度ばかばかしいお笑いを一席。流ちょうな語り口で話す落語はいつ聞いてもおもしろい。

 落語は元をたどれば僧侶の説法が始まりだとも言われている。ありがたいお説教も気づくと子守歌になっていることも。そこで考えられたのが、笑いをおりまぜた落語だったのかもしれない。

 仏教はイスラム教やキリスト教に比べて敷居が低く、よくテレビ放送に例えられる。

 イスラム

 お寺参りというと正座。正座というと足の痛さを思い浮かべる人が多い。

 お坊さんの修行を始めたときも、足の痺れと痛さはこたえた。なぜこんな姿勢をしなくてはいけないの。素朴な疑問が出てくる。日蓮聖人が活躍された鎌倉時代には、胡座(あぐら)が一般的だったようだ。そののち茶の湯の広がりと共に、狭い茶室にたくさん座れるなどの理由もあって正座が普及していったそうである。

 正座する

日蓮宗でお経と言えば、妙法蓮華経(法華経)を指す。その中でも教えの最も大事な部分である方便品の最初の部分と如来壽量品の偈文(自我偈)は僧侶でなくても唱えられる方が多い。

ところでなぜ私たちはお経を読むのだろうか。その答えも法華経にある。そこにはお経を読むことで絶大な功徳を得ることができると書かれているのだ。

だが法華経を全部読むのは大変だし、方便品と自我偈だけで良いのか

最近ではものを運ぶのが大変な事もあり、金銭でお供えされる方も多くなってきたが、今でも重い御神酒やお米などを抱えて、お供えして下さい、と寺務所へ預けて行かれる方も大勢おられる。

御供は布施行の一種で供養とも言う。元は仏・法・僧の三宝に対する尊敬の心をものや行為に託して表すことを言ったが、近年「供養」というとご先祖様や故人に対してお経を上げたりお供えをする先祖供養や追善供養を差す事も多く

最近は御朱印を集めるのが静かなブームとなっているようだ。御首題帳をお寺に持っていくと、かっこいいサインを書いてハンコを押してもらえると、スタンプラリー感覚で御朱印を頂きに来られる方も多くなってきた。では御朱印とはなんだろうか。

前回本欄で写経の功徳と歴史について書いたが、その写経した経典をお寺に収めることを納経と言う。江戸時代には全国の有名寺院に納経して受け取りの証をもらう事