山のたより

能勢家文書

「信友」の「山のお便り」欄の記事を掲載しております。

 新年あけましておめでとうございます。

 毎年飽きずに同じ挨拶をしておりますが去年とは違う自分です。いろんな知識や経験が増え成長したなと思う反面体力は落ちていたり。それだけでなく体調やそのときの気分でも違う自分がいます。

 全てが変わり続けるこの世の中。仏教においては、生きている事それだけで素晴らしいのですが、その中で、もし誰かを助け、共に幸せになれればとても素敵なことで

 今月はいよいよ十二月、最後の月です。今年一年いかがだったでしょうか。今年の初めに立てた目標に届きましたか。

 目標を定めないと、同じ場所で足踏みしているだけになりかねませんし、かといって目標が遠すぎると気力が続かず途中であきらめてしまいます。

 仏教でも、成仏という究極の目標に向かうためには小さい目標に向かって一歩ずつ歩んでいくことを説いています。

 

 突然パソコンが故障した。全てのデータにアクセスできなくなり自分の目の前も真っ暗になっていく。なんとか気を持ち直してこの原稿を書いているが、買って一年経たないので、まさか壊れるとは思っていなかった。

 振り返ると人生も同じかもしれない。自分だけは大丈夫と思っていても必ず終わりはやってくる。

 日蓮聖人は「まずは臨終の事を習うてのちに他事を習うべし」とおっしゃ

 秋と言えば運動会。地域の運動会など、ふだん運動し慣れないのに急に走り転んでケガをするかたもちらほらと……普段から運動しておけば良かったと思っても後の祭り。

 信仰のあり方も同じです。日蓮聖人もパッと燃え上がりすぐに消えてしまう火のような信仰より、少しずつでも続けることで一滴一滴の水がやがて川になり大海となる、水のような信仰をすすめておられます。…

 仏教で修行と言えば苦行はだめで「中道」が良いとされる。ではどの程度の修行が「中道」なのだろう。

 お釈迦様の弟子のシュローナは、まさに箱入り息子だったので外を歩いたことがなく、誰もができる軽く歩いてお経を読む修行をしただけで足が血まみれになった。その様子を見た釈尊は、度を超した修行は良くない、と声をかけたという。

 裏を返せば、全員に共通する「中道」はないのだといえる。