山のたより

能勢家文書

「信友」の「山のお便り」欄の記事を掲載しております。

 縁ありラジオに出させて頂いた時のこと、伝えることの難しさを感じつつ、終わったときには、じっとりと冷や汗がにじんでいた。顔も見えず、お会いしたことのないリスナーの方に、どれほど理解し共感して頂けたのかあまり自信はない。

 ひるがえって、お釈迦様の教えは何百年経っても人々に伝えられ今なお現在進行形で広がっている。仏と自分を比べるのはおこがましいが、様々なご縁を通じて自分もまた仏

 「ははがうまれる」という本を見た。お母さんを応援する子育てエッセイ集といった内容だが、中身もさることながらタイトルがとても興味深い。

 子供が生まれる事により、その子の「母」もまた新たにこの世に誕生する。たった一つのきっかけで生活全てが変わっていくというのはとても不思議な感じがする。

 仏教では大なり小なり全てが縁で繋がっており、何かが起こるとそれが世界の

 蒸し暑い季節。こんな時、昔は扇子であおいだものだが、最近はどこでもクーラーがあるので扇子を持ち歩くことも少なくなった。

 しかし、扇子を持たなくなったわけではなく僧侶の正装をするときには扇子を持っている。これは涼をとるのではなく儀式用で神仏に対する敬意を表す。

 また、扇子はきちんとした和服の時の必需品でもある。お辞儀をするとき、相手を敬って自分の前に扇子を置くなど和装

 地域活性化という言葉が流行っている。誰が言ったのか、地方を変えられるのは、「若者、よそ者、馬鹿者」なのだという。どんな素晴らしい場所も慣れると、良さが分からなくなるし、仮に気づいても何かを変える大変さを考えると躊躇してしまうのだろう。

 日蓮聖人は素直な心で法華経の良さに気づき、変える苦労も承知の上でなお、その素晴らしさを皆に伝えずにはおれず、そのため様々な法難に遭われた。

 古民家などに詳しい建築士から聞いた話。当山開基である能勢氏の拠点、地黄城周辺の武家屋敷群は現存している集落としては大阪府下で最大の可能性があるそうだ。何気なく過ごしている唯の田舎町だが、見る人が見れば実は宝の山でくらしていたのだ。

 お釈迦様の説く霊山浄土もこれに近い。自分たちは地獄にいると思えばそこは地獄となるが、永遠の仏がおわす貴重な世界であると気付いたら、それは霊山浄