山のたより

能勢家文書

「信友」の「山のお便り」欄の記事を掲載しております。

 秋はお萩、春はぼた餅。どちらも同じものだが、季節によって呼び方が違う。

 では、夏と冬はないかと辞書を引いてみると、他に「隣知らず」や「北窓(きたまど」とも言うらしい。

 お萩はお餅のようにペッタンペッタンと激しくつくわけではないので、ついているのが分からない。そのためつき知らず、転じて、月知らず。北の窓からは月が見えないので北窓と言ったのか。何とも風流な言い回しだ。…

 近年、お葬式を始め様々な宗教的儀式が簡素化されたり、宗教者抜きで行われる様になったりしている。日本では政教分離が進んでいるので、その影響もあるのかもしれない。

 意外な事に、欧米では様々な場面で宗教が行政に組み込まれており、例えば入籍の書類に宗教者のサインが必要な国もあるようだ。

 宗教が組み込まれる事の功罪はともかく宗教が身近でなくなってきているのは淋し

 街で子供が誰かにぶつかったらしく「ごめんなさいは?」と親が子供に迫っている。子供は結局「ごめん」と言えずに泣き出してしまった。

 悪いことをしたと思っているけど、子供なりのプライドも、言い訳もあるが言葉にできず、抑えきれない感情が溢れ出たのだろう。

 反対に大人になるとその場しのぎで、気持ちもないのに取りあえず謝る人もいよう。

 仏教において、まずは素

 高名な尺八の先生と話をしたときのこと。 尺八は自分の力だけで音を出そうとしてもいい音は出ない。物は元々素晴らしい音をもっており、私達はそれを引き出すお手伝いをしているに過ぎない。大切なのは、その物が持っている音を感じ、最適な吹き方をすることなのだそうです。

 私達の信じる法華経も同じではないでしょうか。自らの力だけで全てを理解し仏になるのは難しく、遠回りに思えても、お釈迦様

 人の手が入っていない原生林において、森を形作る木の種類はあまり多くないらしい。関西では、標高が低い場所ではコジイ、中ぐらいはアカガシ、高い所の一部はブナになることが多いという。

 現在、多くの山は人の手が入り、建材になりやすいスギやヒノキの林になっているが、寺社仏閣など一部の聖域では原生林がかろうじて残っている。

 当山には、真如寺にコジイ、奥の院にアカガ