山のたより

能勢家文書

「信友」の「山のお便り」欄の記事を掲載しております。

 毎日見慣れている景色にありがたみを感じることは少ない。

 先日、植物に詳しい大学の先生と歩く機会があった。先生の手にかかれば普段見慣れている雑木や雑草の景色が、素晴らしい夢のような世界へと変わる。ここでは珍しくない植物が、全国ではとても貴重だったり、見ることが困難になりつつある風景だと知ったからだ。この景色を大切にしなければと感じた。

 私達の人生も実は同じだ。何気ない

 若いときの苦労は買ってでもしろという。色々経験すれば考えや行動の幅も広がり、結果人生にとってプラスになるのだろう。

 だが、逆に無理に苦労をして体や心を壊す人もいる。苦労が単なる「苦」になっては体を壊す原因にもなり、かといって「楽」をしてばかりでは将来困ることもあるだろう。

 仏教では快楽も苦行もどちらも悟りの道ではなく「中道」を取るのが良いとされる。

 環境保護やエコの文字を見ない日はない。環境保護というと人間が自然に一切手を触れないような印象を受けるが、人間が何もしない事が自然にとって最も良いのだろうか。

 最近多い山の土砂崩れは、人間が山に入らなくなったことによって引き起こされる事が多く、希少な生物が住むことで有名な能勢の湿地帯も人間が入らなくなったために消えようとしている。

 仏教とは共生の教えであ

 舞い散る桜を見るとふと、西行法師の歌を思い出します。「願はくは花の下にて春死なん…」

 最近では「死」を特集した番組や雑誌をよく見かけるようになりました。近年、お墓やお葬式の選択肢が増えてきたこともあるのでしょう。お墓を作らず海や山に散骨したり、桜など木の下に埋骨する樹木葬も。お葬式も個性的で奇抜なものや安さを謳った直葬など様々です。

 自分で選ぶことがで

 科学と仏教、相反するように思えるが、意外に相性が良いと感じる事はよくある。先日読んだ本でも、情けは人のためならずという諺を行動科学の視点で説明していた。

 ご存じの方もいるだろうが諺の意味は、人に情けをかければ回りまわって結局自分に返ってくるということ。

 仏教がオススメする「菩薩行」という修行も同じで、人に何かを与えることで自分も含めたみんなが幸せになれ