山のたより

能勢家文書

「信友」の「山のお便り」欄の記事を掲載しております。

 テレビで仏式の結婚式が映っていたとき、慶事でお焼香をする事が珍しいようで、出演者がしきりに感心していた。お焼香でイメージするのは、お葬式や法事が多いが、実際はおめでたい席でもお焼香をする。

 お経に「焼香」の文字があるように、古くからお焼香は行われていた。良い香りを仏さまにお供えすることでその功徳を頂き、同時に自分の心身を清浄にすると言われている。

 現在

 「シンシンと雪が降ってきた」と米国の友人に言ったら、米国の雪は音もなく降るのに日本の雪は音を出してにぎやかに降るのかと冗談半分に返された。

 日本では雪の音だけでなく静けさの音もあり「シーンと静まりかえる」などと言う。

 雪の降る音など聞こえるはずないし、ましてや静寂に音などあるはずが無い。音なき音を聞き、それを言葉にした最初の人は、大変な観察力とセンスを

 パソコンに詳しかった学生時代、友人から質問を受けた。専門用語を並べて立て板に水の如く答えたが、結局私が何を言っているのかさっぱり理解してもらえず、大変困った。

 あたりまえのことだが、言葉が通じるのはお互いが単語の意味を知っているからであり一方的な専門用語では何も伝わらない

 お釈迦様や日蓮聖人は、必ず質問の内容や相手の理解度にあわせて、分かるように話をさ

 日本語は素敵だと思う。例えば、桜は『散る』、梅は『こぼれる』、菊は『舞う』、牡丹は『崩れる』、椿は『落ちる』。花の終わり方も一つでは無い。

 しかし、咲く方は一つだけだ。昔から、日本人は終わり方にこそ美しさを感じたのかもしれない。

 世界は常に動いており、永遠に思えても、いつかは終わってしまう。でも無くなってしまうのではない。

 日蓮聖人

 「やられたらやり返す。倍返しだ!」という言葉がテレビドラマで流行っている。ドラマはスカッとして気持ちがいいが、実世界で倍返しが繰り返されたら大変な事になる。

 キリスト教では右の頬を打たれたらもう一方を差し出せと教え、「目には目を」で有名なハンムラビ法典も同害報復が限度で、それ以上の報復を禁じている。

 悪さをされても、それすら修行の糧とするのが仏教流だ。