昨年の春、痛めた五十肩の症状が一年の月日を経てようやく和らいできた。

思えば、痛みは日々に増し、ついに右手で重い物が持てないほどとなり、右腕を上にあげるのが精一杯であった。

とくに手を後ろに回すのが辛く、袴を着けるときは、腰の後ろで結ばなければならないので、激痛との戦いであった。

 

私が僧侶として駆け出しのころ、老僧の衣の着付けを手伝う

「うっせぇうっせぇうっせぇわ!あなたが思うより健康です!」

 

子どもたちが流行曲のサビを楽しそうにマネしています。

Ado(アド)というアーティストの「うっせぇわ」という曲。

毒のある、反骨精神に満ちた歌詞で、社会人のストレスを歌い上げています。

正直共感できるところも多いです。が、やはり我が子が「うっせぇうっせぇ」と連呼していると少し複雑な気持ち

様々な欲望が執着を生み、苦を引き起こすと考えられるので、この欲望を制御することが、仏教の実践的なテーマとなります。

仏教では、欲望の背後には、喉の渇いた者が激しく水を求めるような衝動があると考えました。それを「渇愛」といいます。

渇愛には三つの種類があります。

①欲愛(日常生活での物事への欲求)

②有愛(生存に対する欲求。この世でも来世でも良い生を

例年にない早い梅雨入りです。

しかも明けるのが遅くなるという予報。

大雨で被害が出ている地方もあり、気が滅入ります。

コロナ禍で制限される生活。早くいつもの日常を取り戻したいと願うのは誰しもの思いです。

ところで「いつもの日常」とは何を願っている言葉でしょうか。

考えてみれば、今日と明日とは異なるもので、いつもと言っても同じ日の繰り返しはありません。