法華経茶話

法華経ってなんだろう。仏教のなかでも日蓮宗でよく聞く法華経とは。成立の過程や簡単な内容にふれながら法華経にまつわるいろいろなお話しです。

高度経済成長によって豊かな人々が増加してくると、司祭者階級よりも農民や商人の力が大きくなっていきました。

そして彼らは、財力を蓄えるとともに、自由な発想を持つようになります。

その中から、神々とのコミュニケーションを独占しているバラモンたちに反発する知識人も登場しはじめました。

その様な知識人の一部は既存のカースト制から抜け出し、新しい教えや生き方を求めて修行する

さて今月から法華経茶話第二部に移ります。

第一部では法華経成立の背景に関しては概略的で部分のみの解説になってしまったので、第二部ではもう少し細かくみてきましょう。

まずは、釈尊御在世当時のインドの宗教事情についてです。当時のインドでは、バラモン教という宗教が中心でした。

バラモン教では人々を四つの階級(カースト制)に分けます。バラモン(司祭者)クシャトリヤ(王族)

これまで法華経が成立した背景について概観し、法華七喩について解説してきました。この法華七喩は、一仏乗(この世の全ての生物は悟りの境地に至ることができる)の教えを一般の人々にわかりやすく説くための譬え話でした。

法華経では、日常の仕事があり修行だけに身を投じることが難しい在家者であっても、永遠の真理としての釈尊を信仰することで、悟り

に至ることができると説かれて

前回説明した「理の釈尊」は、法の人格化ですから姿形は見えません。これを「法身仏」と呼びます。

『寿量品』では目に見えない法身仏の釈尊が目に映る人間の釈尊の姿となって現れたと信じて「事の釈尊」のことを「応身仏」と呼びます。

法身・応身というとともすると歴史上の釈尊と真理の釈尊とに二分化され、ランク付けされたような印象を受けてしまいますが、こうした二分化を一つにまとめるのも、この「良

第二に、この比喩には二人の釈尊が登場します。それは、良薬を病児たちに残したまま旅に出て、その旅先から「死んだ」と報ずる良医の父の釈尊と、子ども達が全快したのを知って帰国する良医の父の釈尊です。後者の釈尊は前者とは実は別次元の釈尊である、ということです。

つまりこの喩えは、肉体を持ち歴史上に実在し、有限の生命を持った人間・釈尊と、肉体を持たずに、歴史を超越した永遠の真理(法)の象徴と