秋の味覚の代表=栗。その種類は、野生種から栽培種まで数多くある。中でも銀寄(ぎんよせ)という種類の栗は一個二〇グラムを超す大きな実で、品質の高さは全国的に有名である。

 この銀寄、江戸中期の宝暦三年(一七五三)現能勢町倉垣の人がたまたま発見したという。これを増殖して隣国丹波の亀山に出荷したところ大変よく売れた。そのためお金(銀)を寄せるという意味から「銀寄」と呼ばれるようになったそうだ。丹波栗と呼ばれるのもこの銀寄だと聞いたことがあるが、「能勢栗」では当時売れなかったようだ。

 真如寺でもかつては植えており、時期になると子供も手伝わされて栗拾いに行ったものである。ところがせっかく拾ってきても、大きくて美味しそうな栗は贈答用に使われ、子供の口に入るのは小さな芝栗か虫の食ったものであった。大きな美味しい銀寄を思う存分食べてみたいと夢見たこともあった。

 ところで銀寄の増殖方法だが、実生で苗木を育てるのではなく、良い親木の枝を接ぎ木する方法で増やしている。種からでは時間がかかるためか、それとも良い苗木ができないためなのか。また特別な技術をもって、枝を剪定することによりよりよい果実を得ることができるそうである。

 何気なく食べていた栗だが、実は一本の木の発見から始まって二五〇年を超える歳月の間、栽培の技術を代々に伝えてきた人々の労苦があって、今口にすることができるのだと思うと、よく味わって食べないと申し訳ないような気がする。

 私たちの周囲を見回してみれば、栗だけではない。自分以外の他の力を借りずに、手にし口にできるものはひとつとしてないことに気づく。「縁(えん)」というものがこれである。縁すなわち他の力に生かされているのが私たちなのだ。従って自分が良くなろうとすれば、まず他を良くしなければならないのである。仏様は、これが菩薩行であり、仏の世界への直路だと説かれているのである。