先月九月十二日、宗祖日蓮大聖人竜口法難の報恩法要を迎えました。

 一月遅れのお話しとなりますが、実は当時の九月は新暦の十月くらいの季節となりますので、月遅れでお話しを続けます。

 日蓮聖人はご生涯、生命に関わる目に何度も遭われましたが、中でも最大の法難が竜口法難でし

た。文永八年(一二七一)九月十二日。他宗僧侶の讒(ざん)言(げん)によって幕府の役人に捕縛された聖人は、鎌倉小路を引き回され、龍ノ口の刑場跡にて斬首されるところでした。

 ところがいざその時に、江ノ島の方角から光り物が飛来し、首切り役人たちは目がくらんで、刀を放り出す始末。斬首を一等減じて佐渡へ流罪となりました。

 その時、弟子たち五人もとらえられ、鎌倉にて土牢に押し込められました。

 聖人は鎌倉から佐渡へ向かうまで、一時相模国の依智に留められその時に、囚われた弟子たちに書いた手紙が現存します。自身のことは省みず弟子へのいたわりに満ちた文は、受け取った弟子にとってどれだけ励みになったことでしょう。

 さて聖人は十月(新暦十一月)十日佐渡へ向かって出発し、越後の寺泊に二十二日に到着します。この道中は聖人にはとても厳しいものでした。罪人として役人に連れられての道中です。それだけでも心にかかる負担は大きいものですが、さらに辛いことには鎌倉を離れるにつれて、聖人を理不尽にも憎しみ、命をも奪おうとする者たちが増えていくということでした。

 道中、風の音さえも刺客の立てる声ではないかと、心休まる間もないとご自身述べておいでになるほどです。また寺泊についてやれやれというわけにはいきません。その後厳寒の佐渡に流されていくわけです。

 ところで何故そんな大変な目に遭わなくてはならなかったのか。それは御仏の唯一の、そして真の救済の教えである法華経を説き広め、全ての人に幸福を得て欲しいと願ったからです。

 今月十三日は聖人のご命日。御会式の日です。