「如説修行」は勧持品・随喜品・神力品・陀羅尼品勧発品などに説かれているが表題のように訳されている。では、説の如くとはどのようなものなのかといえば、受持・読・誦・解説・書写の五種法師と呼ばれるものだ。

功徳の多さでいえば「法蓮抄」を解釈すると順序に従う通りであり、受持が最多であるといえる。

受持とは受と持に分けられる。受とは受けること、信心を始めることとなる。

持とは持つこと、信心を継続することとなる。また大智度論にいわく、「信力のゆえに受け念力のゆえに持つ」とあり、信心継続には思い続け忘れないようにする努力が求められている。また「諸願成就鈔」にいわく、これを精進と呼ぶ。

つまりは、法華経を信心し、書写し、伝え、そらんじ、読み、信心を継続することが説の如く修行することになるだろう。またそれにもまして重要な修行というものは南無妙法蓮華経と唱えることだ。唱題行は先に挙げた五種法師の功徳にも勝っている。

すなわち、「法華題目鈔」にいわく陀羅尼品「法華の名を受持せん者福量る可からず」や正法華経の総持品「もしこの経を聞いて名号を宣持せば徳量る可からず」、添品法華経の陀羅尼品「法華の名を受持せん者福量る可からず」といった経文を挙げている。

同鈔には続けて法華経一部八巻二十八品六万九千三百八十四文字を全て受持し、読誦し、随喜をもってこれを護持していくことを「広」の修行と呼び、方便品・寿量品等を受持したり、護持することを「略」の修行と呼び、神力品の結要付属、すなわち「以要言之」から「宣示顕説」までの釈尊から上行菩薩をはじめとした地涌の菩薩に法華経を仏滅後に弘通することを託された四十四文字の経文や題目を唱え、唱える行者を護持することを「要」の修行と呼び、題目だけを唱えることを「要の内」の修行であると読んでいる。

このことを我々は受けとり法華経や祖師の教えの通りに「説の如く修行」していかなければならないだろう。