昨年の春、痛めた五十肩の症状が一年の月日を経てようやく和らいできた。

思えば、痛みは日々に増し、ついに右手で重い物が持てないほどとなり、右腕を上にあげるのが精一杯であった。

とくに手を後ろに回すのが辛く、袴を着けるときは、腰の後ろで結ばなければならないので、激痛との戦いであった。

 

私が僧侶として駆け出しのころ、老僧の衣の着付けを手伝うことがあった。袴の紐を結び終えたとき、言われた言葉が、「肩が思うように動かないから助かるよ」と喜んでもらえた記憶が今にして思い出される。

春から秋にかけて痛みが増し、夜中に寝ていても痛みで目を覚ますこともしばしば。冬から春になると、徐々にではあるが痛みは和らぎはじめた。

今では少しの痛みはあるが、生活に支障をきたすことはなくなった。一度は治ることを諦めかけたことを思えば不自由のない生活が如何にありがたいことであるか。本当に仏さまのご利益をいただいた気がしてならない。

 

ところで、一般に物事が思うようにはかどらずイライラする状態を「業を煮やす」という。

業は、仏教用語では梵語(ぼんご)でカルマと言い、元々は人間の身・口・意によって行われる善悪の行為のことを意味した。

やがて前世の善悪の行為が現世で受ける報いとされ、理性によって制御できない心の働きを指すようになった。つまり、業は自身で制御できない心の動きや怒りのことなのである。

 

また、仏教では、「この世のあらゆるすべての物事は、自業自得である」とされる。自業自得とは「自分の為した行いの報いは、必ず自分が受けなければならない」とされる。

肩を痛めたのも自身の業によるものであり、まさに「業を煮やす」状態であった。

しかし今こうして治癒できたのも仏様の功徳によるものであると確信する。

いかなることがあっても、必ずや仏様のご加護があると信じ、信仰することで善行の功徳を積むことができるのではなかろうかと。