5月の法話 妙とは蘇生の義なり/桑木 信弘
新緑の季節、一斉に芽吹く山の木々や道端の草花の春らしい香り、吹く風の心地よさに、新たな生命の鼓動に幸福を感じます。
春ならではの安らぎを覚えながらも、私はこの季節になるとある時期のかつての自分を思い出します。
周りは、人も自然も春の喜びに活気付いて見えるのに、私は病で自宅に引き篭もり、心は何ら希望に芽吹く事なく、言い知れぬ重苦しさを抱えて毎日を過ごしていました。
私達は様々な縁によって生かし生かされています。親や先祖は勿論の事、出会う人との縁、住居や職場などの環境との縁、どのような縁を選び身を置くかで、現れてくるものが変わります。それまでの自分を振り返り、幸福が我欲ではなく周囲との関わりの中で、心に感じるものだと思い始めた頃、仏縁あって私はお寺という環境に身を置いて生活し、御題目を唱える機会
に恵まれました。
信じる力があったわけではありませんし、理解していたわけでもありません。ただ南無妙法蓮華経と声に出していく。すぐに何かが劇的に変化することはありませんが、少しずつ心身から黒くモヤモヤした何かが抜けるようで、お寺という新しい環境での生活は、決して楽ではありませんでしたが、数週間するうちに健康を回復し、まるで生き返ったような爽快な心地でした。それと同時に、生きているというのは、とても大きな生命に包まれ生かされていると感じていました。 日蓮聖人は「妙とは蘇生の義なり」と、法華経の信仰により忘れかけていた仏の心や仏の種が蘇ると教えられ、御題目を唱える事を勧めておられます。
私達は、時に心が沈み、力を失います。でもその命が失われた訳ではありません。全ての命に仏の心は具わっています。
南無妙法蓮華経という善き仏縁に触れてこの季節、外の自然と同じように私達自身の命もまた、妙の働きにより蘇っていく、その祈りを一歩一歩と踏みしめたいと思います。
