関西身延真如寺とは

大阪で唯一、日蓮聖人の御真骨を奉安している霊場です。
毎日ご祈祷やご回向(ご先祖の供養)を受け付けています。
滝行で心身を清め、心の鍛錬をすることもできます。

〒563-0121 大阪府豊能郡能勢町地黄606
TEL:072-737-0135 FAX:072-737-0448

真如寺の大屋根

ご祈祷

各お堂にて、家内安全、身体健全、社運隆昌、厄除け、合格祈願、等々ご祈願をいたします。

ご回向

ご先祖様や水子のご供養を承っております。

お滝行

年中枯れることのない当山の滝での修行のご指導をいたします。

お知らせと更新情報

  • ささやかなヒーローたち/倉橋観隆

    今年はいよいよ東京オリンピックパラリンピック。日本のスポーツ界も活況を呈しています。それに伴って様々な競技でヒーローが誕生しています。 ところで、この「ヒーロー」とは大勢の人々から拍手喝采を浴びる人だけがヒーローなのでしょうか? 本来ヒーローとは注目されなくとも相手に勇気や希望。そして安心を与える存在も含まれるのではないでしょうか。 先日ある新聞の読者欄で二十八才の女性の投稿を目にしました。 ーー先日会社の忘年会で帰りが遅くなり終電に飛び乗った。駅に着くとタクシー乗り場は長蛇の列。少なくとも一時間は待たねばならない。家まで歩けば十分。意を決して歩き始めた。 暗い夜道。途中どうしても、植え込みの繁った公園の脇を通らなければならない。足早に通りすぎようとしたその時、「ガサガサ」っと茂みが揺れた。全身がこわばった。「ニャー!」 飛び出したのは猫だった。 でもまだ動悸は治まらない。ふと後ろを振り返ると十メーターほど後ろを四十才くらいの女性が歩いていたではないか。その女性も一瞬身構えた様だった。 私がマンションの入口に着いた時、彼女も向かいのマンショに入るところだった。一瞬顔を見合わせニッコリ会釈してドアの中に入って行った。お互い話はしなかったけれど私は彼女にどんなに安心を貰ったことか。でも私も彼女の用心棒になっていたのかしらーー この話は何気ない日常の一コマですが、二人の女性にとってこの瞬間、お互いなくてはならない掛け替えのない存在だったのではないか。そしてお互いがこの夜のヒーローだったのではないかと思いました。 「誰かがあなたの力になっている。あなたも誰かの力になっている。誰かが誰かの力になっている」 法華経ではこんな私たちを別名「ぼさつ」と呼んでくれています。私たちも日々ささやかなヒーローになっていることに気づきたいものです。
  • 2月の法話 皆の思いをひとつに/相川大輔

    ここ最近ニュースでよく見かける“グレタ・トゥーンベリ”という名前をご存じだろうか。彼女は若干十七歳のスウェーデンの環境活動家である。 彼女が世界的に知られるようになったのは、十五歳の時に、地球温暖化による気候変動への早急な対策をスウェーデン政府に求めて「気候のための学校ストライキ」をおこなったことによる。 彼女はこのストライキで、「大人が私の未来を台無しにしようとしているので私はこれをしている」と書いたリーフレットを配布し、温暖化によって引き起こされている地球環境の危機について、私たち大人の世代の責任を追及し、この問題への待ったなしの対策の実行を訴えたのだ。 もちろんその言動に対する批判もあるが、彼女は今や環境問題の世界的なリーダーであり、特にヨーロッパの人々の環境問題への関心を高め、その対策へ早急に着手すべしという世論形成の中心を担っている。 要するに、彼女は、温暖化による地球環境問題について、「王様は裸じゃないか!」と声をあげたのである。 私たちは薄々気づいている。記録的な大型台風による被害や記録的な猛暑から地球環境の危機を。地震や津波による原発事故からエネルギー政策の転換をなすべきことを。さらなる日本社会の高齢化による介護問題や年金問題の深刻化を。 私たちは、日常の中の様々な問題に気づいていながら、周りを憚って声を出せずにいる。行動できずにいる。 ではいったい私たちはどうすればよいのか。グレタ・トゥーンベリの言動の中にもそのヒントがあるのではないだろうか。彼女の活動は法華経の身読=法華経の実践=に通じるものがないだろうか。 衆生安穏への取り組みが法華経の心だとすれば、その心に適っているのならば勇気を振り絞って声をあげ行動することで、必ずや賛同者が後に続き、その思いは一つとなり、事が成ずるものであると信じる。
  • 良医病子喩(五)

    前回説明した「理の釈尊」は、法の人格化ですから姿形は見えません。これを「法身仏」と呼びます。 『寿量品』では目に見えない法身仏の釈尊が目に映る人間の釈尊の姿となって現れたと信じて「事の釈尊」のことを「応身仏」と呼びます。 法身・応身というとともすると歴史上の釈尊と真理の釈尊とに二分化され、ランク付けされたような印象を受けてしまいますが、こうした二分化を一つにまとめるのも、この「良医喩」の役目です。 前回ご説明した通り、薬を残して旅に出て死んだと伝えられた釈尊が事の釈尊、そして子供が全快してから帰国する釈尊が理の釈尊です。  「亡くなったと報じられたが実は亡くなったのではなかった」という言葉のあやに、二人の釈尊の一人化が感じ取れるのです。
  • 2月のお便り

    洗濯機を買いに出掛けた。様々な機種が店頭に並んでいる。全自動は当たり前で、洗濯物を放り込んだらあとは機械任せ。楽になったものだが、20年前インドへ行った時の事を思い出した。 川辺で石に洗濯物をたたきつけて洗っていた。驚いたことに、洗ったものを土の上に直置きで乾している。アルカリ性の土壌では汚れがつかないという。 さらに驚いたことには、洗い物を手に持って広げ風に当てて立っている人がいた。さすが久遠の仏の古郷。 気の長い話しだが、忙しい今の日本、少しは見習ってもいいのでは、と思う。 KJ