7月の法話 施し/渋谷拓矢

 お盆になるとお寺に行かれ、ご先祖様の供養をされる事かと思います。

 では、お盆とは一体なんでしょう?

 その由来は、お釈迦様のお弟子の一人に目連尊者という方がおられました。目連尊者は「神通力」という不思議な力を持っていました。

 ある日、目連尊者の前を母子が楽しそうに話しながら通って行きました。 それを見て、何年も前に亡くなった母を懐かしく思い神通力を使い母の行方を探しました。すると、優しかった母は餓鬼道に落ち、食べ物もなく肉は痩せ衰え骨ばかりで地獄のような苦しみを得ていたのです。

 なんとか助けたいと思い神通力を使って食べ物を届けました。でも、母が食べようとすると、食べ物はおろか水でさえもすべて燃えて母に食べてもらう事ができません。悩んだ目連尊者は、お釈迦様に相談すると「母が餓鬼となったのは、あなたの幸せだけを願い、他には施さず蔑(ないがし)ろにしたからです。母を助けたいなら、七月十五日に雨季の修行を終える修行僧にご馳走を施しお経を唱え全ての霊を心から供養しなさい」
と仰られました。

 教えに従い供養したところ、母を無事に餓鬼道から救う事が出来たといいます。

 餓鬼は常に満たされないため、成仏できず永遠とも思える長い時間苦しみます。しかしお施餓鬼の法要を行い南無妙法蓮華経のお題目を唱える事によって、お経に乗せ届けられた食べ物や飲み物を口にでき、満たされ餓鬼道から救われます。

 法華経化城喩品第七の中には梵天たちの誓願として「願わくは自分のために修行してきたこの功徳が全ての存在に行きわたり、われらと衆生とみな共に仏道を成就することができますように」とあります。

 私たちが今こうして生かされているのはご先祖様のおかげです。でもそのご先祖様だけでは無く生きとし生けるもの全てに南無妙法蓮華経のお題目で供養する事が大事なことなのです。