1月の法話 今年を福多き年に!/日 慧

新年明けましておめでとうございます。

ふり返れば昨年は、暗いニュースや衝撃的な出来事がたくさんありました。今年こそは明るく希望に満ちた年になって欲しいというのが、だれもの願いでありましょう。

これは今に始まったことではありません。いつの時代も世の中明るいことばかりではなかったということなのでしょうが、古くから除災得幸のご祈祷というのがあります。災いを除き幸いを得る。一言でいえば開運のことです。「開運」の守護神といえば妙見大菩薩さまですが、今でも私たちは年の始めや月の始めなど、節目を迎えると、大過なくよい年(あるいは月)になりますようにと祈ります。

ところで中国の古典『史記』に、「古(いにしえ)の、よく事を制するものは禍(わざわい)を転じて福となし、敗によって功を為す」とあります。よき人生を勝ち得た人は、わざわいを福となし、失敗から成功を導いた人なのだというのですが、ここから「わざわいを転じて福と為す」という言葉が使われるようになったといいます。

ただ、私たちがこの言葉を使うとき、何か思いがけない逆転があったときに使うことがよくあります。小石につまずいて転んだところが、たまたま落ちていた十円玉を拾ったときなど、「禍が転じて福となった」などと喜びます。これは偶然の作用を期待するものです。しかしこの言葉の本来の意味は、自分の意志と努力によって不幸を幸福に変えることをいうのです。したがってただ単に「福となった」のではなく、自分自身が「福にする」ということなのです。

日蓮聖人は「福とする」ための要素として、意志と努力に加えて、信仰によるご守護を説いておいでになります。またその信仰は、他人任せでは決して成就するものではありません。自身の心によって為すものです。私たち自身の信仰の力によって「禍を福」と為し、新たな年を素晴らしいものにしていきましょう!