1月の法話 新たな年を迎えて/日慧
新年明けましておめでとうございます。
こんな挨拶を聞き、子供の頃思ったことですが、何故「おめでとう」なんだろうと。
去年と今年といっても、一日違い、時間にすればわずか一秒の違いで新年になるわけです。何
が変わるものでもない、といえばそんな気もします。
しかし、年が変わるということは単に年号が変わったというだけではありません。
旧年を振り返ってみたとき、大変な苦労や辛い思いを乗り越えて何とか新年にたどり着くことができたという人もあるでしょう。
こうして新年を迎えるときは、よくぞこの一年無事に過ごすことができた、という思いに駆られることでしょう。
あるいは、良い一年を過ごすことができた、と喜びを新たにする人もあるでしょう。
旧年が良かった人もあまり良くなかった人も、新年を迎えて思うのは、もっと良い年になるようにということではないでしょうか。
ところで、私たちは一人で生きているのではありません。好むと好まざるとに関わらず、
無数といってよい沢山の人々の力を得て生きているのです。
その力がなかったら、今ここにある自分は存在しないかもしれません。
何気なく使っている水道の水にしても、水道管を施設する人、河川や水の管理をする人、その他大勢の人々の力があって一杯の水を
得ることができるのです。
このように考えると、私たちを支えてくれている沢山の人の誰がいなくても、新年を迎えることはできないかもしれません。
とすれば一年を何とか過ごし、いま新年を迎えることができたことは、まったく有難いことだ、めでたいことだと、
互いに祝い合うことになるのではないでしょうか。
旧年の反省と新年への新たな決意、そして周囲の人々への感謝と喜び。これらを心に深く味わい、
新たな年のスタートラインに立つのがお正月ではないでしょうか。
皆様のさらなる盛運をお祈り申し上げます。