1月の法話 年頭に当たって 日慧

 

 新年明けましておめでとうございます。

 私は、昨年一昨年と冬の間は、千葉県中山にある日蓮宗大荒行堂の副伝師に就任し、行僧とともに寒一百日間の修行生活を過ごしており、久方に能勢でお正月を迎えました。

 行中は、新年も旧年もなく、また昨日も今日もない修行生活を送りました。それに比して今年はたった一日、いやわずかな時間の経過の中で、年が旧年から新年へと劇的に変わりゆく様子を味わうことができました。

除夜の鐘とともに交わされる新年の挨拶。静まりかえった境内に、突然活気が満ちあふれてくる。時間の流れにはとぎれがないのに、人々の気持ちの中には明らかに昨日とは違う新しい流れが渦巻いています。

 先ほど、荒行堂の生活は昨日も今日もないと言いましたが、実は行堂の修行生活においても、新年を迎える行僧の心には厳粛な思いが去来します。

仏の下で仏とともに迎えた新年。仏に与えていただいた新しい年とは、自分にとってどんな年になるだろうか。そこで何ができるだろうか。そんな思いは、修行中にあってこそ始めて得られるものだと言えましょう。

 考えてみると、じっくり世の中を観察して先行きを予測し、目標を定めて進むという生き方が忘れられつつあるように思えてなりません。

政治にしても場当たり的で、事が起こってから騒ぎ出すということが少なくありません。先行きをしっかり見つめようとしないから、安易に犯罪に走る人も増えているように思えます。

かつてこの日本は最も安全な国でした。誰もが安心して暮らすことができる社会、しかしそれが壊されつつあるのが今の私たちの住む日本の社会です。

 社会をよくするには、まず私たち一人一人がしっかりとした目標を持って生きることが大切です。その場しのぎの生き方ではなく、先行きを見通した生き方。年の初めに当たって、時代をみつめ、自分自身を観察し、今するべき事を確かめたいと思います。