8月の法話 「少欲知足」/宮本観靖

 先日とあるディスカウントショップに行った時の事です。その店は大量の商品が安い値段で売られている事で有名です。

 私は商品で占領されかけている通路を歩き、欲しい物を一つずつカゴに入れ、そしていざレジで自分のカゴを見てみると、入れた物の多さに驚きました。

 自分ではそんなに入れているつもりはないのに、気付けば大量の品を購入しようとしていたのです。危なく不要な物まで買い、余計なお金を使ってしまうところでした。

 考えてみると、普段私達は多くの物を買って消費していますが、身の回りを改めて見渡してみると何と物の多いことでしょうか。

 ある統計では、衣類からペン、コップに至るまで身の回りにある品を全て合計すると、発展途上国では数十点余りに過ぎませんが、先進国になると何と二万点以上にもなるそうです。そういえば私も六畳一間からの引越しなのに想像以上の荷物があり、予想外に時間がかかったという事もありました。

 私達は欲しいと思うとつい必要でない物まで買ってしまう事がありますが、そんな時に思い出して頂きたい言葉があります。

 それは、法華経に出てくる「欲少なくして足るを知る」という御言葉です。私達のあれが欲しい、こうなりたいという思いはきりがなく際限のないものです。

 常に欲求を満たす為に行動するものの、それに満足できず、また求めるという繰り返しです。絶えず欲しい物を求めるという心に、安心は存在しません。

 念願の物を手に入れ喜んだのもつかの間、また欲しい物が出てくるという経験は誰もがある事でしょう。分別をわきまえ、「私はもうこれで十分です」という「足るを知る心」にこそ安心は訪れるものです。

 物が溢れているこの世の中で今、心のあり方が重要視されてきています。今の時代にこそ、「足るを知る」という気持ちを実践していく事が大切であり、安心への近道となるのです。