コラム 十干と十二支(六)

 前回記しました讖緯説では、辛酉の年には社会的事件が起こり易いとされていますが、特に六十年毎に来る辛酉の年の二十一回目、年数で言うと一二六〇年を単位として、歴史的な大事件、大革命が起きるとされています。

 聖徳太子はこの説に基づき斑鳩に宮殿を建てた六〇一年から一二六〇年さかのぼった紀元前六六〇年を、初代天皇である神武天皇の即位の年としたのでした。

 時は経ち明治六年、政府はこの説を採用し紀元前六六〇年を皇紀元年とし、その年の元旦を日本国紀元としたのです。その日は太陽暦に直すと二月十一日になることからその日を紀元節と定めました。現在もそれは建国記念日として祝日となっており、讖緯説の影響は聖徳太子の時代から現在まで続いているのです。