11月の法話 一人じゃないよ/植田観龍


 「もういいかーい」「まぁーだーだよー」よく近所の公園やお寺の境内で遊んだ事がある「かくれんぼ」です。「絶対に見つかってなるものか」「いやいや、一番早く見つけてやる!」とお互い意気込んでは、思いも寄らないところに隠れたり、そんな所にいるわけないだろうというような場所を探したりと、一生懸命になった事をおぼえています。

 しかし、この「かくれんぼ」が最近様変わりをしてきているそうです。それは一人で隠れていられない。早く見つけて欲しい。反対に探す方は、一人で見つけられない。誰か早く見つけて一緒に探して欲しい、という事だそうです。これではかくれんぼの醍醐味が・・・。

 そしてこれは大人でも言える事ですが、一人で食事がとれないという人が

増えているそうです。一人で食事をしている姿を見られると、あの人は友達がいないんじゃないかと思われるという観念にかられるそうです。随分と時代が変わったのだと感じます。

 私も小さい時は、一人でいるのが大変怖く感じました。しかしそれは一人でいると何か目に見えないものがいるんじゃないかという怖さです。

 そんな怖い思いを泣きじゃくりながら祖父に話した事があります。祖父は「ちゃんといつもそばで仏様はお前の事をお守りくださっている。仏様はとても近いところにいて、とても遠いところにいらっしゃる。それはどこかわかるか?お前は自分の目で自分の顔を見た事が無いだろう!近くて遠いところは、自分から地球を一周した背中だろう!それと一緒でそこに仏様はいらっしゃるんだ!あまりにも近過ぎて見えないだけだ」と話してくれました。

 法華経『譬喩品第三』の中で仏様は「この世の生けとし生きる衆生は、みんな仏の子である」とお説きになられています。

 我が子である、私たちをいつも見守ってくださることは限りない安心感ではないでしょうか?