1月の法話 「変」/植田観龍

 新年あけましておめでとうございます。

 新年早々昨年の話題になりますが、昨年の漢字に「変」が選ばれました。

 これは首相の交代や急激な景気の変化等、政治経済の変化を強く感じ選んだ人が多い為のようです。

 変化と言っても心の変化もあります。私の友人にT君という方がいます。

 四ヶ月前、久々に彼と再会し、何度かお寺へ遊びに来るうちに信仰について話をするようになりました。

 ある日、雑誌で写経の特集を見たT君は自分もやってみたいと言って、写経セットをそろえて書き出しました。

 そして先日、「写経をしたら今までにないくらい安心感を感じた。今度は一緒にお経が読んでみたい。」と話してくれました。

 彼の中で何かが変化したのでしょうか。年末だったので新年最初のお経を一緒に読もうと約束しました。

 日蓮聖人は『重須殿女房御返事』というお手紙の中で、「今正月の始めに法華経をくやうしまいらせんとをぼしめす御心は、木より花のさき、池より蓮のつぼみ、雪山のせんだんのひらけ、月の始めて出づるなるべし(正月の始めに法華経をご供養申し上げようとなさるお心は、つまらない木に美しい桜の花が咲き、汚ない池に蓮華がつぼみをつけ、雪山の栴檀が雪を割って育ち、月が始めて山から出るように、あなたご自身によい果報をもたらすでしょう)」とおっしゃられております。

 新年は誰しも気持ちが改まるものです。今年一年良い年にと仏に祈ります。しかし功徳を受けるには日々の信心あってのことではないでしょうか。

 常日頃の信心による徳がご先祖さま、子孫、そして回り回って自分自身へと返ってくるのです。

 せっかく正月に気持ちを改めて決めた信仰心です。それをしっかりと胸に刻みそれが「変」わることがないように日蓮聖人を信じ、お題目を唱え、今年一年が素敵な年になるようにしたいものです。