12月の法話 病からの気付き/宮本 観靖


 先日の事です。何が悪かったのでしょうか?私は突然の胃痛に襲われてしまいました。

 最初は「何かお腹の調子がおかしいなぁ」と思った程度でしたが、またたく間に動くのも辛いほどの痛みになってしまいました。

 翌日になっても胃痛は治まらず、横になっていても痛みはドクンドクンと波打っています。

 ある人は「それは食べすぎでっせ」と言い、またある人は「落ちている物でも食べたんやろ」と笑いましたが、それにつっこむ元気もなく、その日も早い時間に横になったのです。

 どのくらい寝たでしょうか。私は顔の違和感で目を覚ましました。寝ぼけながら確認してみると、私の顔の上に紙がかぶせられていたのです。そしてその紙には「なむみょうほうれんげきょう」とお題目が平仮名で書かれていました。それは小学一年生の息子が私を心配して書いてくれたものでした。

 思わず「キョンシーか」とつっこんでしまいましたが、息子の思いやりの心がとても有難く、暖かな気持ちになれました。そしてそのお蔭でしょうか、私の胃痛も程なく治まり元気になる事が出来たのです。

 私達は何か病気や怪我をした時に、はじめて健康というものを実感できるものです。同時に人からの気遣いや、思いやりの心もその時に多く感じる事が出来るでしょう。辛い時や悩んでいる時にこそ、当たり前だと思っている自身の健康、人からの思いやりなど普段気付く事が出来ない有難さを実感出来るものです。

 日蓮聖人は「病などで悩む事により、仏の心は芽生えるものです」と仰っています。辛い時に、さしのべてもらった思いやりの心に気付く事により、次は私達自身が他の人にいたわりの心、慈しみの心で接する事が出来るはずです。

 その心を受けた人がまた他の誰かに、という様にあたたかな慈悲の心が多くの人に廻っていく世界になれる様、日々の気付きを大切にしていきたいですね。