2月の法話 豆まき/宮本観靖

 今月三日は節分です。
節分が明ければ立春となり、実感出来ませんが暦の上ではもう春となります。

 年賀状の挨拶に「新春」「初春」と書く様に、旧暦では春を一年の始まりとしていました。節分は、正月気分からもう一度気を引き締め、決意を新たにする良い機会です。

 また節分といえばやはり豆まきでしょう。
最近は掃除が大変だという理由などで、敬遠されていると聞きますが、まだまだ廃れてはいないようです。

 子供の頃など豆まきが楽しみで、鬼の面をつけた父親に調子に乗って豆をまき過ぎ怒られたこと、まき過ぎた豆の一部が数ヵ月後に家具の隙間から埃にまみれて出てきた事等、様々な思い出があります。

 ところで昔は、豆まきの豆という字は当て字で「魔目」「魔滅」と書き、鬼の目をつぶし、魔を滅ぼすとしていました。豆をまき、家の魔を追い払い、それと一緒に自分の心の魔も追い出し、厄落としをするという意味があったようです。

 心の魔とは、限りない様々な欲望である貪る心、怒りの心、正しさが解らない心といった、仏教用語で心を害することから「三毒」と言われるものです。

 この「三毒」は私達の心に常に潜み、隙あらば心を乗っ取ってとやろうと絶えず企んでいます。
例えば必要のないものまで欲しくなったり、見栄を張ったり、他人を妬んだりと乗っ取られる機会はよくあります。

 「三毒」を心から追い出すのは困難のように思えますが、日蓮聖人は「法華経は釈尊の真実の心が説かれた良いお経である。
その良いお経と共にいれば、筒の中の蛇が真っ直ぐになる様に、自然と自分の心も正しく真っ直ぐに、良い心に成っていくものである」と仰っています。

 素直な心で法華経を信仰し、一心に御題目を唱えることで「三毒」が住み難い心へと成っていくのです。法華経という豆をまけば、心の魔も次第に小さくなり、ついには「魔滅」と成っていくことでしょう。