2月の法話 ご縁/新實信導

「これ、両替できますか」と、千円札を出された。

「百円玉、十枚でいいですか」と尋ねたら、
「五円玉を入れてもらえたら有り難いんだけど…」

「五円玉ねぇ、申し訳ないけど十円玉しかないんですが、それでいいですか」
「五円玉、無いんですか」と、残念そうな顔。

 隣で受付していたNさんが見かねて言った。
「わたしの財布に小銭があるからそれでよかったら両替してあげましょう」

 ポケットから財布を取り出し、数枚の五円玉を探し出して両替を終えた。
  今年の妙見山での初詣の出来事だ。二十歳前後の青年たち四、五人のグループだったが、五円玉を手にして、満足そうに開運殿(妙見様本殿)にお詣りして行かれた。

 どなたでも、お参りにきた以上は神様や仏様とのご縁に触れたいと願う。少しでもご縁やご利益にあやかろうと願うのは誰もの思いで、「五円」は「ご縁」に通ずるとして縁起を担ぐ。

 このように初詣もそうであるが、事の節目に私たちは神仏のご加護を信じ、幸せになるご縁を得ようとして、神社やお寺にお参りする。

 そんな私たちを、果たして仏様はどのようにご覧になり、縁をどのように受け止めて下さるのだろうか。

 「仏は種種の縁、譬喩をもって巧みに言説したもうに、その心の安きこと海の如く、われは聞きて擬網を断ぜり」(譬喩品第三)

 仏様は数えきれないほどの手段をもって、私たちを仏の悟りへと導こうとされている。しかもそのお心の安らかなことはまるで広大な大海のようであり、教えを聞く者は疑いの心が晴れるというのである。

 そんな仏様とのご縁を戴くことは大事だ。
仏様はいつもあの手この手と様々な手だてを駆使され、私たちを仏の世界へと導こうとされている。
 
 法華経には今、この時この場に於いても、私たちを救護しようとされる仏様のお心持ちが説示されている。そのことを知り、仏様とのご縁を結ぶことが大切なのである。