3月の法話 みんなの《仏》に合掌 /相川 大輔

昨年、小学5年生の男児が路上にて迷子の7歳女児を保護し、警察から感謝状が贈られたというニュースを見た。自分もこの男児のように行動したいものだと感心したところで、

「通りかかる大人は何もしなかったので自分が何とかしないといけないと思った」との男児の言葉が紹介された。

この言葉を聞いて、私はいいようもない危機感を感じずにはいられなかった。それは、このニュースの出来事が今の社会の縮図を表していると感じたからだ。

知らず知らずのうちに私たちは、お互いを信頼できず、他者に対して身構えてしまい、万事まずは疑ってかかることが当たり前となってはいないだろうか。

そしてそのような社会だとわかっているからこそ、善いことだと思うことさえ実行できずに、面倒なことに巻き込まれたくないと思ってしまいがちではないか。

泣いている女児を見て見ぬふりをした大人たちの気持ちを私たちは容易に想像できるはずである。女児を保護することで自分に何かしらの疑いをかけられることが面倒なのだ。

この問題はその大人たちだけにあるのではない。人の善意を善意と捉えずに悪意とみてしまう社会風潮が大きな問題なのである。こういった社会風潮を変えていくのは、もちろん私たち一人ひとりの意識と行動によるほかはない。

法華経に常不軽菩薩という方が説かれている。この方は「私はあなたを深く敬います」とあらゆる他者を礼拝していく。なかにはこの方を嫌い、叩いたり石を投げつけたりとひどいことをする相手もいるが、

そんな仕打ちにも怖気づくことなく、他者への大きな信頼を持ち続けた結果、関わり合いをもった全ての人を成仏へと導くことになる。

この常不軽菩薩の精神を受け継ぐことで、互いに信頼し真直ぐに優しさのやり取りができる社会を取り戻すことができるのである。

宗祖御降誕八百年を迎えた今、これこそが私たち仏子の役割であるはずだ。