11月の法話 心に潜む毒/倉橋 観隆

 お釈迦様の信者には様々な人がいます。その中の一人に維摩(ゆいま)という人がいました。彼はお釈迦様の教えの究極を悟っていました。その維摩が病気になった時、お釈迦様は弟子たちに彼の見舞に行って欲しいと言われたのです。

 まずは智恵第一といわれたシャリホツでした。すると彼は「とんでもございません。いくらお師匠様のご指示でもその役目だけはご勘弁を」と断りました。その理由を尋ねると、

 以前、智恵を磨く為に林に籠もって瞑想をしていたところに維摩がやって来て「シャリホツさん、瞑想は林の中だけでするものではありません。日々の生活を行いながらその状態を保たなければ本当の瞑想とは言えませんよ」と。まさに瞑想の極意を射貫かれ愕然とした事がありました。

 「という訳で、怖くてお見舞にはいけません」

 次に神通力第一といわれたモクレンに白羽の矢が立ちました。彼も断ります。理由は苦行によって体得した神通力を使って体験した不思議な話を皆に聞かせていたら、維摩がやって来て言いました。

 「あなたのお説教は偏っています。不思議な体験は大切ですが、それを通して事柄の本質まで見抜いたお話をしなければ本当の説法にはなりません」彼は自信をなくしてしまいました。

 お釈迦様は十大弟子総てに声をかけます。が、皆苦行によって得た一番得意とする力を維摩にこてんぱんに否定されていたのです。

 実はお釈迦様は弟子たちが見舞を拒むことを最初から見越して、あえて命じられたのでした。

 維摩を通して気付かせたかったことは、いくら修行をして力をつけても、それが却っておごりの原因になる危険があるとの戒めだったのです。

 これは『維摩経』に説かれるお話ですが法華経はこの教えのエッセンスを「増上慢」という一言で表現しています。すなわち私たちの心の最奧に潜む毒は「増上慢」であることに警鐘を鳴らしているのです。