今年の初日の出は、素晴らしかったです。

晴れ渡った東天から顔を出した旭日が、年末の残り雪を金色に染め上げ、暫し寒さを忘れて掌を合わせました。

翌日も日の出を拝むことが出来ましたが、元日ほどの感激はありませんでした。初日の出ということに意義があったのです。

ボージョレヌーボにしても初鰹にしても、初ものということに価値を認めているものは多々あります。

「何でお正月にはお目出度うっていうんだろう」

何年か前ですが、初詣に連れられて来た子供が二人で話していました。

「御誕生日でもないし、別にお目出度くないのにね」

なるほど、なぜお目出度うなんでしょう。新年を迎えてお正月には「お目出度うございます」というのがごく普通の挨拶です。ただ今年はコロナ禍の中で、新年とはいっても、お目出度うと言うには少々抵抗があるように感じますが……。

「ああでもない、これはどうかな?」

私が小学生の頃から通っている習字教室で中学生の男の子がつぶやいています。

どうやら学校に提出するための「書初め」をしているようです。

その様子を微笑ましく思いながら自らの学生時代のことをふと思い出します。

書初めの起源は平安時代までさかのぼります。

「吉書初め」(きっしょぞめ)という行事が、新年の宮中行事として

大乗仏教における菩薩の代表的な修行の一つが六波羅蜜(ろつぱらみつ)です。

波羅蜜(はらみつ)とは、伝統的な解釈では「彼岸に渡った」という意味があります。

「彼岸」とは悟りの世界を指し、これに対して我々が住んでいる迷いの世界を「此岸」と呼びます。

つまり、六波羅蜜とは、此岸から彼岸に至るための六つの徳目という意味です。

①布施(物惜しみせずに施すこと