3月の法話 『御馳走様』/鈴木春曉

 「ごちそうさま」とお店の人に言うべきか。言わざるべきか。と話題になることがあるそうだ。

 私は純粋に感謝の思いから「ごちそうさま」と伝えるように心がけている。しかしながら、「言わない」という人の意見を聞いてみると「ごちそうさま」は、料理の食材に対する感謝であるからスタッフにまで言う必要はない。また、料理への対価としてお金を支払っているから不要。また、伝えるのが恥ずかしい。という理由なのだそうだ。意見が分かれるこの問題を考えてみたいと思う。

 実は本来、食後の挨拶である「ごちそうさま」の「ちそう(馳走)」とは漢語で「馬で走り回る」ことを意味する言葉だそうだ。その昔は大切な客人を招く際、その準備のために方々へ馬を走らせ食材を調達した。現代とは違い手軽に身近な店で食材を購入できるわけではなかったからである。

 もてなしの料理を準備するのは大変な労力がいる時代だったのである。その様子から日本では「馳走」という言葉が「もてなし」を意味するようになり、さらに「馳走」に敬語の「御」を付けた「御馳走」はもてなしのための言葉となったのだ。余談だが、外国には「御馳走様」に相当する言葉はないそうだ。

 目の前に料理がある。その一皿が提供されるまでにどれだけの手間がかかっているだろうか。調理、提供をしてくださる店員。食材を積み運ぶ運送業者。そして生産者。それだけではない。食材を育むためには肥料が必要だ。その肥料を農家へ運ぶ人。様々な方が命を削り尽力なされた「おかげさま」だ。わが命をその「おかげさま」で繋いでいると実感するからこそ、食後には「御馳走様」と口先から自然と出てくる。

 普段お唱えするお題目にも同じことが言えまいか。『法華経』では久遠の仏さまと我々は親子の関係で結ばれていると説く。その尊い関係性に気が付いた時、我々は感謝の思いから自然とお題目をお唱えしたくなるのだと思う。