6月の法話 電気/新實信導

 今月から大手電力七社の電気料金の値上げを経済産業省は正式に認可し、家庭向けの電気料金の値上が決定した。ますます家計が厳しくなるばかりである。

 この電気の正体である電子は一八九七年にイギリスの物理学者トムソンにより発見され、二〇年後にエジソンが白熱電球を発明。今の私たちの生活にはなくてはならない電気となった。

 私たちはふだんから何気なく電気という言葉を使っているが、目に見えない電気とはそもそもどんなものか。電線や金属の中を通り光や動力、音など、いろいろな形や姿に変化するのはなぜか? 疑問が湧く。

 発電機には、磁石とコイルが入っている。コイルの中で磁石を回すと、電気が発生する。これが発電のしくみだそうだ。実際の発電所では、蒸気や流れる水の力でタービン( 羽根車) を回し、そこに接続されている発電機で電気が作られている。このタービンを回す蒸気を作る燃料が高騰したため、電気代があがったという訳だ。発電ができることはわかっても根本の電気とは何かは原子レベルでは理解できても具体的に何かはよく分からないそうだ。

 目に見えないものと言えば、信仰もそうである。昔の人は、純情で素直であっただけに、法華経はありがたいものだ、お題目をお唱えすれば成仏できると聞けば、読経・唱題を実行して功徳を積んだ。しかし、現在の私たちは理屈にあうかどうかで判断する。つまり法華経・お題目を唱えることがなぜありがたいのか、論理的に納得して実証できないことは信じようとしない。まして仏様の存在など知ろうとはしない。だが何事も頭の中で考えるのでなく、実際の物事に即して考えることが道理である。

 如来寿量品には「常説法教化無数億衆生令入於仏道」とあり、仏様は今もこの世に常住し、未来永劫にわたり私たちを救済し導きつづけていると教示されている。こんなありがたいお言葉があるだろうか。私たちは電気が一瞬で通電するように仏の道に通じたい。