9月の法話 仕合わせ/服部憲厚

 辞典で「幸せ」を引くと「仕合わせ」とも書くと出てきます。これは運命のめぐり合わせという意味で、昔の人は、良くも悪くも運命のめぐり合わせを「仕合わせ」と呼んだそうです。確かに日々の生活の中で良いめぐり合わせばかりでないということは私たちもよく理解していることです。

 お盆で忙しい季節、私にも悪いめぐり合わせがやってきました。軽い気持で行った病院で、病気が見つかり即日入院となりました。体力にも自信がありましたし、まさか自分が入院などとは考えてもいなかったので、本当にショックを受けてしまいました。

 日蓮聖人が「病は仏様からの計らいであって、病によって仏道を求める心が起こるのです」(『妙心尼御前御返事』)とご教示されている事は知っていましたが、いざ病気になると不安や恐怖感ばかりでそんな余裕はありませんでした。

 そんな私を心配し、お見舞いに来て下さった方を見て、初めて不安な心が和らぎましたが、「病が仏様の計らいである」というお言葉はどうしてもわからないままでした。わかったのは病気が辛いと言うこと。

 しかし、退院してからようやく日蓮聖人の言葉がわかってきたように思います。毎日元気でいられる有難さは、病気の辛さを知ったからこそ新鮮で、沢山の人に支えられて生かされているという感謝の心は、自分の心の弱さを知ったからこそ生まれるのだと感じました。病気は悪いめぐり合わせではありませんでした。仏様が「たまには苦しさや辛さも味わいなさい」と私に与えて下さった「仕合わせ」だったのです。

 私たちは自分にとって良いことだけを幸せと呼びます。しかし、仏様は様々な仕合わせを与えて下さいます。それを素直に受け入れ時には悩み苦しんで、そこからまた生きる力を見いだし前進できたならば、それは本当に幸せなことだと感じられるはずです。

 仏様はいつも私達に「仕合わせ」を与えて下さっているのです。