3月の法話 人間万事塞翁(さいおう)が馬/宮本観靖

 先日友人のK君と久し振りに会った時、面白い話を聞いた。
K君は会社の部署で昇進し、そのお祝いにと出かけた時に、階段から落ちて足の骨を折ってしまったそうだ。

 そして病院でどうせ会社を少し休むのだからと、ついでに健康診断を受けてみると、なんと胃にポリープが見つかった。骨を折ったおかげで早期発見できて助かった。という話だった。

 K君は「時代劇の歌じゃないけど、人生楽あれば苦ありやな」と言ったが、私はむしろ「人間万事塞翁が馬」を地で行っているなと思った。

 この言葉は中国の故事で「塞翁」すなわち国境の砦付近に住む老人の身に、幸福と禍が交互に降りかかるこんな話である。

 ある時、老人が飼っていた馬が逃げてしまった。皆は「残念だったね」と言うが老人が「いやいや、これがどんな幸いになるか分からない」と言っていると、逃げた馬がもう一頭馬を連れて帰ってきた。皆は「良かったな」と言うが老人は「いやいや、これがどんな禍になるか分からない」と言う。後日その通り、老人の息子が、その馬に乗っていると落馬して足を折ってしまった。人々は「気の毒に」と言うが老人はまた、「これがどんな幸いになるか分からない」と言う。そのうち隣国と戦争が始まったが、老人の息子は足の怪我のおかげで従軍しないですんだ。という話である。

 そして格言の冒頭にある「人間」は「ジンカン」と読み、人の世、世間の意味である。つまり人の世は定めがたいものだから、一喜一憂せず冷静に対処すべきだという意味の話である。

 私たちは何か事が起こるとその都度一喜一憂しがちである。
特に調子の良い時ほど有頂天になってしまい自分中心で周りを気にせず、自分の足元すら見失ってしまいそうになる。本来は常に、また調子の良い時ほど自らを省み、謙虚になることが大切である。自らを省みることで自然と自分の至らぬ所が分かり、さらに向上の一歩となるのである。