11月の法話 『白厚綿小袖』/服部憲厚
「すゑひろがりず」を御存じだろうか。
狂言風のスタイルで、最近人気の漫才師である。
現代語やカタカナ語を、あたかもそれらしい古語に変換して笑いを誘う。
例えば、お菓子のカントリーマアムを「ふるさとの母君!」などと大層に言って観客を沸かせる。
笑えるかどうかは皆様の感性にお任せするとして、彼らの発想は、実にユニークで面白い。
日蓮聖人が書き残された文章を「御遺文」と言う。
現在伝えられている「御遺文」は、著作・書状四九八篇、図録六六篇、断簡三六三点と膨大で、こちらは正真正銘、鎌倉時代の古語である為、解読はそう簡単なものではない。
ある日、私はそんな「御遺文」の一編『兵衛志殿御返事』を拝読していた。
この書は日蓮聖人が、ご信徒の供養に対して書かれたお礼状の手紙である。
極寒の身延山。着るものも乏しく、腹の病に苦しんでいた日蓮聖人に、信徒である池上さんは「白厚綿小袖」を供養された。
さて、この「しろあつわたこそで」なるものは一体何か?「小袖」は、当時着られていた衣と言ってしまえばそれまでである。
そこで、先の漫才師ならばどう表現するか考えた。
白い防寒着だから「白きフリース」?いや、厚綿なのだからやっぱり「白きダウンジャケット」か…。
そう思った瞬間、身延の凍てつく寒さにダウンの暖かさが経験上ぐっと身に染みてきて、「ありがたい!」と思った。
事実、聖人は「この小袖のおかげで凍え死なずにすみました」と感謝された。
「御遺文」を読む醍醐味は、このように日蓮聖人の感動を私たちが追体験することではないだろうか。
今年は日蓮聖人がお生まれになって八〇〇年目の記念すべき年である。
しかし、その八〇〇年という年月を現代に繋ぐ努力と工夫を怠っては、すえひろがりの未来はない。
日蓮聖人の信仰を正しく未来に伝える為にも、今一度「御遺文」を読もう。