11月の法話 泥臭さの中にこそ/栗原 啓文
朝晩は肌寒く感じることが多くなってきた。異常気象といわれる程の猛暑だった八月の暑さは、一体どこへ行ってしまったのだろうか。それにしても今年の夏は、気温もそうだが、色々な意味で本当に暑かった。心も身体も。そう。夏の甲子園第一〇〇回記念大会である。何といっても今大会の主役は秋田県代表、金足農業高校の選手達だろう。全国ではあまり名の知られていない、部員全員が地元出身の公立高校が、強豪私立を次々と手玉に取っていく姿は圧巻の一言。決勝で大阪桐蔭高校に敗れはしたものの、全国制覇という夢に向けて、泥だらけになりながらプレーする姿に日本中が熱狂した。
今年の夏の甲子園は、四〇〇億円を超える過去最高の経済効果を生み出した。何故これほど多くの人が甲子園球場に足を運ぶのか。これは一高校野球ファンとしての私の心情だが、部員全員が心を一つにして全力でプレーする姿を目に焼き付け、そこで得た活力を日常に還元したいと思うからではないだろうか。まるでその姿を通して、自身の純粋な心を見つめなおすかのように。
日蓮聖人は、御遺文『法華初心成仏抄』で「籠の中の鳥なけば、空とぶ鳥の呼ばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法を呼び奉れば我身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ」とお示しになられた。仏性を現代的に解釈すれば純粋で穢れのない人間性と言い換えることもできる。つまり、お互いがお題目をお唱えすることで自身の中にある純粋な人間性を呼び起こすことができるのである。籠の中の鳥が、空を飛ぶ鳥の鳴き声に呼応して籠から出ようとするように。
今回の金足農業高校の大躍進を見て、たくさんの人々が忘れかけていた自分の純粋な人間性を見つめ直すことができたのではないだろうか。
私もこの甲子園で与えていただいた活力を糧に、一層御題目の流布に努めていきたい。