8月の法話 阿修羅と十界/末田真啓
いま静かな仏像ブームなのをご存知でしょうか。月刊の情報誌による仏像の特集や若い女性タレントのイラスト入りの仏像入門の本が出版されたり、歴史や日本の伝統文化に興味を持つ若い女性が増えたこと、博物館の展示方法や照明の工夫による仏像の新たな魅力の発見も、仏像ブームのひとつの要因になっているようです。
なかでも、奈良興福寺の阿修羅像は多くの秀逸な仏像の中にあって、雑誌の表紙にも抜擢されるほど大変な人気があります。
肌の色は怒りで赤く、三つの異なった表情の顔と六本の腕を持っています。親しみのある少年のような姿と憂いを含んだ神秘性との両面をもった、他の阿修羅像にはない特異な造形が人々を引きつけています。
ところで古代インドの神話の戦闘の神だった阿修羅は血気盛んで闘争を好み、常に帝釈天などに戦いを挑む鬼神の一種でしたが、お釈迦様の教えを聴いて懺悔し、仏教に敵対するものを退散させる守護神になりました。嫉妬心の強い激しい性格の阿修羅は、世界を迷いと悟りの十種に分類した「十界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏)」の中では修羅界=前六界の人間界の下位におかれています。地獄界から天界までは六道と呼ばれる迷いの世界です。また声聞、縁覚、菩薩、仏の後四界は、四聖といって悟りの世界です。
中国の隋の時代に天台宗を開かれた天台大師は、法華経の教えによって、十界のそれぞれが相互に他の諸界を具えることを明らかにされました。つまり、私たち人間界の者もまた最下位の地獄の者も、その心の中に仏の世界を持っているというのです。従って心の中に備わった仏の世界の扉を開放することによって誰でも仏になることが出来るというわけです。ではその扉を開くにはどうすればよいのでしょうか。日蓮聖人は、南無妙法蓮華経の御題目を一心に唱えることにより、それが出来るのだと説かれています。