8月の法話 涼風/新實信導

 暑い。とにかく暑~い。「あつい」と声を出さずにはいられない。近頃の原油高により、ガソリンはもとより、食料品や生活用品、電気・ガス等の光熱料金までもが値上げされ、生活はさらに苦しい状況だ。この暑さではエアコンに頼りたいところだが、電気代が気になるのでなるべく使わないように努力している家庭も多いと思う

 思えば、エアコンのない昔は、暑さをしのぐために家の天井を高くし、戸や窓をを大きく開けることで少しでも多くの風を取り入れようとした。この風が扇風機にとってかわり、やがてエアコンが普及して、今では家の各部屋に備えられるようになった。

 昨年までは少しでも暑いと窓を閉め、エアコンを入れ、吹き出し口から流れてくる快適な冷風を浴びていたが、今年は違う。幸か不幸か、エコ努力か電気代節約のためか、できるだけエアコンを使用せず、すだれやよしずをかけることで、暑さ対策に努力している。

 この努力の甲斐あってか忘れかけていた自然の涼風が体感できたのである。すだれの間をスーと抜けてくる風が実に心地よい。

 日蓮大聖人は『事理供養御書』というお手紙に「法華経は私たちの心がすなわち大地であり、大地はすなわち草木であると説く。また諸経では私たちの心が澄むのは月光のようであり、心の清らかなことは花のようであるというが、法華経はそうでなく、月こそ私の心であり、花こそ私の心であるという教えである」と説示されている。つまり、法華経以外のお経では自然の風光は私たちの心の譬えとして用いられているが、法華経は、自然の風光そのものが私たちの心であると教えられているのである。

 暑い日射し、そこに漂う風。ひとときの涼風を受けたとき、風の有り難さを知ることができる。まさに仏様から与えられた風を体感しているのである。自然と一体化すること、すなわち仏様の徳という風を受け入れるため心にも大きな窓を開けたい。