9月の法話 イライラせずに・・・/宮本 観靖

 先日外食をしていた時の事です。その店はバイキング形式で自分の好きな食べ物を取りに行くのですが、そこでお皿を持ちながら子供の名前を呼び、大きな声で怒っている人を見かけました。少し離れた所で店内を走っていたであろう子供が泣いています。

 「そんなにきつく怒らんでもええのになぁ」と思って横を見ると、そこに居たはずの三歳になる息子の姿が見当たりません。辺りを見渡すと店の奥へと走っていく姿が見えます。

 「こらーそっち行ったらあかん!」と焦って連れ戻し、「じっとしててや」と注意しますが、小さな子にじっとしていろと言うのも所詮無理な話。すぐにまた同じことの繰り返しです。

 「あーっもう!」と思った時、ふと気付きました。他人が怒っている時は、冷静に何故そんな事で怒るのかなと思えるのに、いざ自分の事になると冷静さを失い少しイライラしている自分がいます。

 改めて考えてみれば、私達は普段の日常生活で怒ったり、イライラしてしまう事がよくあります。自分に関係が無い所では落ち着いていられますが、自分の事になると何故か怒りや焦りが生まれてきます。

 何故そうなってしまうのでしょうか?

 私達は人生や物事は全て、自分の思い通りになるものと心のどこかで思っているところがあります。だから思い通りにならないと自分の都合で怒ってしまうのだと思います。

 仏教には、この世の全ての物事は移り変わり、常に定まっているものはない。とする「諸行無常」の教えがあります。この世界は常に全てが変化しているのだから執着を持ってはいけない、というものです。

 だから人生や物事が自分の価値観や理想と違う、思い通りにいかないのは当然であり、そんな事で怒るのは随分と人生を損している様に感じます。

 思い通りにならないなら少しでも怒りを減らし、より多くの笑いのなかで生きていく事が充実した人生につながるのだと思います。