2月の法話 モノにも心がある/倉橋観隆

パソコンお使いの方、愛機のご機嫌いかがですか?

つい先日、私の片腕のパソコンが急に不調を来たし遂に壊れてしまいました。

原稿の締め切りが迫っている中、不安ながらもキーを叩いていた時、突然画面が真っ暗になってしまったのです。

 

何度電源ボタンを押しても反応なし。頭の中は真っ白。「買ってまだ二年なのに」怒りと同時にデータが飛んでしまった焦燥と困惑……。

時間を置いてスイッチを入れたり線を抜いたり差したり。空しい努力でした。その日はついに諦めました。

翌日、愛機をさすりながら「一回でいいから立ち上がってくれ」お題目を唱えてスイッチを押しました。と、ランプが点灯したではありませんか。息を吹き返してくれたのです。

「ありがとう!」思わず愛機をさすりました。

「この原稿を打ち終えるまで生きていてくれ」念じながらキーを打ち続けました。

最後まで書き終え、相手さんに送信し、続けてパソコンに入っているデータを総て保存専用の機器に移し終えた、とその時、画面が真っ黒になってしまいました。

ギリギリセーフ!愛機は二度と立ち上がらなくなりました。

「ありがとう」「ありがとう」お題目を唱え慰労しました。本当に不思議な体験でした。

 

無機質な機械としか思っていなかったモノが私の祈りに応えてくれたのです。

皆様は偶然と思われるかもしれませんが、私にはお経の一節を味わわせて頂いた出来事でした。

「悉有仏性(しつうぶっしょう)」すなわち、人に限らずモノには総て心があるのだという教えです。

本誌ゆかりの純智庵(故中村潤一上人)の『地涌の声』にこんな句がありました。

「文句を言わない足の裏

気づけば感謝で手を合わせ」

改めてモノ言わないモノにも手を合わせ「ありがとう」と声をかけることを心がけたいと思いました。

 

ちなみにこの原稿は新しいパソコンで書きました。