7月の法話 おおきに/新実信導


 「おおきに」は関西ではなじみの言葉であるが、近頃ではあまり使われなくなったように感じる。幼い頃は母親から祖父母や親戚、知人との別れの際には必ずといってよいほど、御礼と「さよなら」の意をかねて「おおきに」といった。今は「おおきに」の代わりに「バイバイ」が主流となっているようだが…。

 「おおきに」の意味は、『岩波国語辞典』によると【大きに】《副》非常に。おおいに。関西で「大きにありがとう」の意で、礼の言葉としても使う。とあることからも、おおいに感謝することである。つまり、「おおきに」は「ありがとう」を誇張した言い方であり、あえて「ありがとう」を言わないことで嫌みなく使うことができる。

 私たちが日常生活をおくる上で「ありがとう」の言葉は生活に根付いており、すべてものに感謝する心として自然に身体に植え付けられていたのであろう。

 しかし、今日では「ありがとう」という心情が薄れはじめ、何事も自分の思い通りになって当たり前という風潮が見られる。果たして実際はどうであろう?

 今年の梅雨は雨が少なくやっと降った雨は、雨の有り難さを痛感させられた。また降れば豪雨が続き、やっと晴れた時、晴天の有り難さ、天気に恵まれることの大きさを感じた。農作物はまさに天候に左右されるが、同様に私たち人間も天に左右されており、自分の力ではどうすることも出来ない事がほとんどである。

 私たちは自然の恩恵を受けこの世に生命をつないでいる。自然の恵みが無ければ命も危うくなる。日蓮大聖人は仏弟子の規範ともいえる「知恩報恩」の言葉を以て次の様に説示されている。この世は父母、自然、生きとし生きるものすべて、そして仏・菩薩・諸天善神のご加護の恩恵を受けて生きている。その恩に感謝し報いることが仏の子としての生き方であると。

 「おおきに」と素直に心から言えるような人間になることこそが仏の子としての修行ではあるまいか。