11月の法話 それぞれの幸せ/宮本観靖
先日、友人達と会った時の事です。集まった友人の一人がいつもと違う車でやって来ました。あまり車に詳しくない私でも知っている高級車です。どうやら買い替えたようです。
それを見た車好きな他の友人達は「すごい!」「格好いいな」と興奮の声を上げています。しかし車にほとんど興味のない私には、新車なので綺麗だなと思う程度です。
そのうち友人の一人が「こんなにいい車が買えるなんていいなぁ。僕なんてそれどころじゃないよ」と「いいなぁ」を連呼し始めました。他の友人が「比べてもしょうがないよ」と言っても「いや、わかっているけどな」と言いながらもまだ羨ましい様子です。
私達は、普段から無意識のうちにも自分と他人とを比べてしまいがちです。そして何かを比べるとそれにすぐ優劣をつけてしまいます。そしてその結果、心に暗い感情が芽生え、それは次第に強くなり嫉妬という感情に育ってしまいます。
嫉妬とは他の人を羨ましく思う気持ちが強くなり、妬みに変わってしまう事です。その気持ちは自分では気付かぬうちにどんどんと強くなり、抑えきれなくなってしまいます。無意識にも、人と自分とを比べている間に大きく成長した嫉妬の心は私達の心を焼き、苦しみを増やしていきます。
「法華経」には「仏の平等の説は一味の雨の如し」とのお言葉があります。
自然界の雨が大小様々な木や草花にも平等に降り注ぐのと同じ様に、全ての人に仏様の教えは平等に与えられます。
そしてその人々の苦しみを除き、安心を与える幸せの教えは、沢山の葉を茂らせる大木や、小さいけれど美しい花を咲かす草花がある様にその人にあった幸せを授けて頂けるのです。人には人それぞれの幸せがあるのです。
人と自分とを比べる無意味さを自覚する事により、自分の身の回りにある幸せに気付けるでしょう。それは日々の生活を見渡せば必ず見つかるものです。