11月の法話 充実した人生をおくるために/第三十二世日法上人遺稿

P1050419 秋も深まり、山々も黄に紅に彩られる時季となってきた。毎年この時季がくると、学生時代の同級生会が開かれ、今年も出席した。

 私たちの青春時代は戦争の最中であったため、ほとんどが兵役に就き、多数の友人が戦死、戦病没した。

 第一回から、夫婦同伴となっていた。今年(平成二年二月)で二十一回目になるが、集まったのは亡くなった人の伴侶も含めて二十名であった。思えば昭和十六年に学校を卒業し、以来四十数年の間にこれだけの同級生になってしまった。

 出席した者同志、互いに元気であることに感謝し、無き学友をも含め若き時代のことを語り、歌を歌って楽しいひとときを過ごし、再会を期して解散した。
 「人身は受け難し、爪上の土。人身は持ち難し草上の露」日蓮聖人のお言葉である。人間として生まれてくることは、よほどの縁がなければ難しい。それにもかかわらず、人間として生まれさせていただいたのである。だが人間の寿命というものは、草の上におりた夜露が、朝日に当たってたちまちの内に消えてしまうように、誠にはかないもので、いくら長く生きたとしても、百年も生きることは難しいのである。

 しかも一度別れたら、再び巡り会うことは出来ないことであろう。互いに元気に会っている今という瞬間の如何に大切なるやを、しみじみと感じたのである。

 古来、一期一会という言葉がある。『広辞苑』によると、『生涯にただ一度まみえること。一生に一度限りであること」とある。この意味からみると、人間一生におけることは全て一期一会であるといえる。今日という日に学友に会うことも。また今日この日に食べる朝食にしても、昼食、夕食にしても、これは一生に一度限りのものである。全てのもの、全ての時が一期一会である。何事によらず一つひとつを大切に、今という瞬間を大切にしなければならない。その積み重ねによってこそ、充実した人生を送ることが出来るのではなかろうかと思う。