8月の法話 田の実~頼み/新實信導

 昔から八月朔日(一日)のことを略して八朔(はっさく)と呼んで、元旦についで特別な日とされた。

 旧暦八月一日は今の八月下旬から九月上旬にあたり「二百十日」「二百二十日」と並び、農家の三大厄日の一つであった。この頃は台風が来襲する時期として警戒された。台風により黄金色に実った稲穂が被害を受けるからである。丹精込めて大切に育ててきた田の実りが突然の嵐によって全て失われてしまう恐怖は想像を絶する。何とか台風が来ないでほしい。無事にお米が収穫ができるようにと人々は祈ったのである。

 自然が相手なら自分の力ではどうすることもできない。そこで、八朔の日に神仏に祈りを捧げ、稲すなわち「田の実」の豊作を祈った。ここから八朔の日は別名「田の実の節句」とも呼ばれるようになった。

 ところで「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がある。「人間として出来るかぎりのことをして、その上は天命に任せて心を労しない」(広辞苑)という意味である。これから先の未来に向かって最善を尽くすことが人生を生きる基本であるが、自分にできることは一所懸命努力して、最後は運を天に任せるほかないということである。

 受験生は受験のために一年間努力してその日一日の試験に臨む。入社試験や面接もしかり、ましてやケガや病気の治療で手術ともなれば自分の力だけではどうすることもできない。このように、常に人生には様々な試練が押し寄せてくる。何事も最善を尽くして努力することは大切であるが、最後の最後にできることは「運を天に祈る」ことではないだろうか。

 古人が八朔の日に除災や豊作を願った「田の実」の祈りは転じて「頼み」となり、その祈りは天から福禄を授けられる祈りとなったのである。

 能勢妙見山では毎年九月第一日曜日(今年は六日)に八朔会で「たのみ祈願」を行っている。是非、天の神=妙見大菩薩に祈り、天祐を得ていただきたい