3月の法話 九思一言/新實 信導

「ひとこと多い!」

大学生時代、私は、お寺にお世話になりながら大学に通っていた。そのお寺の住職からよく言われたことが冒頭の文句であった。

「日蓮聖人のお言葉に、孔子という賢人は九思一言といって、九度思って一度申す、とある。思いつきで言葉を発してはならない、よくよく考えて物を言うように。九思一言を肝に銘じて行動すること。解りましたか…。」

九思一言とは、日蓮大聖人が孔子の言葉を引用されたもの。聖徳太子の伯父である崇峻天皇は短気なことで有名で、これがために臣下に命を奪われた故事を引き、一言発するのに九回反すうして十回目に話すようにと訓示された。それほど言葉は慎重に扱わなければならないということ。

思ったことをすぐに言葉にする。いらない事をすぐ話してしまう。軽率な私の言動により他人を傷つけてしまうことを心配して、住職は訓戒してくれたのだ。

また九思とは『論語』に、人には常に心がけなければならない九つがある、と説かれている。

見ることはハッキリと。

聞くことはもらさずに。

顔つきはおとなしく。

身ぶりはへりくだり。

言うことは真心から。

することには気をつけて。不明な点はどしどし聞く。腹がたつとあとが怖い。

儲け事は不正でないかと。 私たちの日常は意に叶わないことが多く、うまくいかないことだらけである。その不平不満がつい言葉に出る。結果、悪い方へと導かれてしまう。

九思を心掛ければ、万事うまくいくのであるが、なかなかそうはいかないのが日常である。

日蓮大聖人のお言葉に、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」とある。お釈迦さまは人としてのあり方を示すためにこの世にお出になられたのであり、仏さまの教えは人が人として生きるための規範となるものである。

つまり、法華経を信じ持ち、己の心の支えとして実践して生きることこそが人としての勤めであると教示されているのである。