12月の法話 安らぎ/及川晃延

 新聞やテレビを見ていますと、毎日、汚職・贈賄・詐欺・強盗・暴行・殺人などの事件が取り上げられております。皆様、今日のご時世をどう思われますか。 社会は乱れ、人心は荒廃し、まさしく末法悪世の様相を呈しています。はたしてこの世に安らぎというものがあるのでしょうか。

 宗祖日蓮大聖人は、四條金吾殿御返事のお手紙の中で、「一切衆生、南無妙法蓮華経と唱える外の遊楽なきなり。経に云く〈衆生の遊楽する所なり云々〉。此の文あに自受法楽にあらずや。衆生のうち貴殿もれ給ふべきや。所とは一閻浮提なり。日本国とは閻浮提の内なり。遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千自受用身の佛にあらずや。法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。現世安穏・後生善処とは是れなり。ただ世間の留難来るとも、とりあへ給うべからず。賢人聖人も此事はのがれず。ただ女房と酒うちのみて、南無妙法蓮華経と唱え給へ。苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合せて、南無妙法蓮華経とうち唱え居させ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給え」と教示されています。

 謹読しますと、どんな賢人でも、世間から批判をあびたり迫害を受けたりする事は当然であると、日蓮大聖人は大檀越である四條金吾殿に言われました。だから苦しみから逃げてはだめだと言われました。

 「苦をば苦とさとり」というのは、苦しみと真正面から取り組み、どんな苦しみも必ず消えて良くなると思えという事であります。また「楽をば楽とひらき」というのは、幸せに感謝して功徳を積んでいきなさいという事であります。

 その苦しみを乗り越えて楽しみを享受し、人生をありがたく受けとめていくのが「自受法楽」の世界に生きる事でありましょう。そのためのお題目であり、そのための信仰である事を私たちは再確認し、そして安らぎを得るためには、法華経を持ち奉る以外に方法はないのです。