12月の法話 年相応/詠裡庵


「年相応です」

 この言葉。一体どう受け止めればいいのかしら。

 人間ドックのついでに、脳ドッグにも入ってみることにした。

 私も夫も六十代。老人の仲間に入った。同年の人から脳ドッグに入ったという話を聞くようになった。

 ものを忘れるようになった。ここに来たけど何をしようとしていたのかしら。と考えることがままある。頭の中に隙間や、死んでる部分があるかもしれないと思うと落ち着かない。まず見てもらうことにした。

 結果説明を聞きに、再度病院に行った。夫は、細かく説明を受けたという。そして大変だ、大変。食事も気をつけなくては、適度な運動もこれからしようと感想を述べる。

 次は私の番だ。説明を受けた私の感想は「まあこんなものかなあ」だった。

 深刻な面持ちの夫と、ほっとした表情の私。ところがどちらも先生からは同じことを言われていたのだ。

「年相応ですね」

 六十才、若くはない。トンチンカンに解釈することもある。身体が重い日もある。でも今、他人に迷惑もかけず、まあ日々無事に問題なく暮らしているから、これでいいのかなあ。 

 持って帰った診断結果もほとんど同じだった。頭の中は二人とも、年相応だということらしい。六十年間使い続け、これからも使い続ける大切な脳だ。日々何か気をつけていたら、もっときれいだったかもしれない。でも一〇〇パーセントといかなくても、取りあえずは年相応で、まあまあ良いのではないかしら。

「一年の計は元旦にあり」というけれど、去年のように計画通りにははかどらないかもしれない。歳をとったと嘆いても始まらない。若い頃はこんなではなかったという思い出は残っているだろう。あれをやり残してしまったと悔しい思いもあるだろう。

 でも無理はせず、まずは年相応に出来ることを出来るように準備したお正月を迎えるのもいいかもしれません。ノンビリと。