12月の法話 鍋(なべ)/日 慧

寒風の吹く中、夕陽までが忙しそうに沈んでいく年の瀬のこの頃。温かい鍋ほど、心休まるものはない。

豆腐に野菜の残り物などあり合わせの食材を放り込んだだけでもいい。一日の仕事を終え、気の置けない人たちと鍋を囲む時。ほっとする瞬間だ。

鍋で思い出すのは、学生時代下宿で自炊していた友人のことだ。たいした料理もできないので、思う存分一人ですき焼きを食べてやろうとしたそうだ。あの頃すき焼きは贅沢なものだった。それを存分に食べて、大変満足したという。次の日も他にメニューが浮かばず、またすき焼きにしたという。これが四・五日続いた。やがて彼はすき焼きを見るのも嫌になり、まったく食べる気がしなくなってしまった。日が経って、もう飽きも治まっただろうと思っても、いざ食べる段になると前ほど美味しくなくなってしまったという。

さて、夏休みに家へ戻ったときのこと。そんなこととは知らない母親は、帰ってきた息子のためにすき焼きを用意してくれた。 「さあさあ、あんたの大好きなすき焼きですよ」

その言葉だけで食欲をなくしてしまったが、せっかくの母親の気持ちだ。気が進まないながらも彼は箸を取った。彼を入れて兄弟三人、それに両親の五人で一つの鍋を囲む。久方に帰ってきた彼を交えて話も弾むが、兄弟は競争のように箸を動かす。いつの間にか彼も夢中になっていた。

彼はその後、下宿に戻ってまた一人となってから、すき焼きを食べてみたそうだ。その時、家族みんなと一緒に食べたときのことを思い出しながら食べた。今度は一人でも、美味しく食べることができたという。

法華経に「願わくはこの功徳をもって普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆倶に仏道を成ぜん」とある。

どんなに美味しいものでも、一人で食べるよりみんなと分かち合う方がずっと美味しい。自分だけがよければという風潮の昨今、分かち合うという生き方の大切さを考えたい。