2月の法話 四条金吾/倉橋観隆
日蓮大聖人がご誕生になられて、二月十六日で七百九十三年になります。この間数え切れない人がお題目を唱えて来ました。その中に四条金吾(しじょうきん
ご)という方がいます。
この方は北条家の重臣に連なる江馬氏という名家に仕える武士であり、更に医術にも通じ、当時としてはかなりのインテリでした。大聖人が身延山に隠棲され晩年体調を崩された折には症状に応じて薬を調合し、鎌倉から何度も見舞に行かれたほどでした。
更にこの金吾殿、大聖人最大のご法難「龍口(たつのくち)法難」の時です。大聖人が鎌倉の草庵で幕府の役人に捕らわれ市中引き回しの上、龍口の刑罪場へ連行される途上、「大聖人が処刑されるなら私も共に腹を切る」と言って大聖人を乗せた馬の口に取りすがって処刑場まで行かれたのです。その時、年は四十二才。奥方二十八才、娘御はまだ四ヶ月。妻子、立場、身分一切をしのぐほど信心堅固の人でした。後に大聖人は「金吾殿がもし地獄に堕ちる事があるなら、我も共に堕ちなん」と述べておられます。
これほど一途に大聖人に従うほどの方でしたが、一方で短気な所があったようで、同僚達と時々もめることがありました。大聖人はその点をとても心配され、『崇峻天皇御書』(すしゅんてんのうごしょ)に次のように戒めておられます。
「昔、聖徳太子の伯父で崇峻天皇という方がおられた。その方は非常に短気であった。ある時、激情なる言葉を発した為に、臣下の蘇我馬子に命を奪われてしまった。天皇であってもこんな結果を招いてしまう。あなたもくれぐれも注意をなされよ」と。更にその気性を和らげる修養として、孔子の逸話を引き「孔子は九思一言といって、一言発するにも九度心に反すうした。あなたもそう心がけ、忍耐を養いなさい。それこそ信仰の要なのだ」と。
信心堅固な方でもこのような一面があるのですね。私達は信仰の先輩に多くを学ばなければなりません。