2月の法話 めぐりめぐって/森 慈徳

 私が大阪能勢へ単身長崎から出てきて、今月の九日でちょうど丸一年となります。昨年の二月も現在のように寒く、早く暖かい春が巡って来ないかと、心待ちにしていました。

 めぐると言えば、この様なお話があります。

 昔、鶏を個人で食用に飼っていた男性がいました。彼は鶏を食べる度に鶏を絞め殺し、熱湯につけて毛をむしっていたのです。しかし、彼はある時自分で沸かしたお風呂に入る時、その沸かしたお湯が熱湯になってしまっていて大火傷を負ってしまいました。

 彼はこの事がきっかけとなって、自分と鶏の立場を入れ替えて考えることができ、鶏が苦しんでいたことや、他の命を頂くことの有難さに気付くことができたのです。そして、頂いた命に感謝しこれを活かす、つまり他のために功徳を積むことによっていただいた命を供養することに目覚めました。

 私たちが何気なく周囲の人などに行っている行為もその良し悪しに関らず、めぐりめぐって必ず自分自身に返ってきます。仏様は、「精進し努力することで善業(良い行い)を積み、現世で良い結果(解脱)を得ることが出来る」と御説きになられています。

 また、日蓮聖人も「人のための行為は、その人だけを幸せにするだけでなく、自分もその幸せそうな姿を見て、幸せな気持ちになれるものです」と、他の人への功徳は、自分の身に功徳が返ってくるよとおしゃっています。

 最近、テレビや新聞等の情報媒体を見聞きしていると、不正や残虐なことが起きています。

 そのような中、仏様や日蓮聖人の意に沿って人のための善業を行い、わが身の功徳とするためには、「たくさんの悪があっても一善に勝つことなし」と日蓮聖人が示されているように、一善=お題目を身に心にお唱えし、その姿や心で他の人の手本となることではないでしょうか。

 貴方は最近、人のためにお題目を唱えましたか?