3月の法話 凍ったトイレ/植田観肇

去年の夏は猛暑が続き、暑さで頭もぼーっとしてさんざんだったが、その反動が来たかのように今年の冬は寒い日が続く。大阪府下でも特に能勢地方は寒いことで有名で、今年などは日中でも零度を超えない日が多かった。昨今の温暖化がうそのような冷え込みである。そんな寒い日が続くと水道の水も凍って出なくなる事が多く、前の晩からちょろちょろと水を出しっぱなしにしてなんとか凍結を防いでいる。

そんなある日、いつも通り朝勤を終え一段落したのち、部屋に戻ってトイレに入った。用を足しておもむろに水を流すボタンを押すがウンともスンとも言わない。何度かボタンを押したりコンセントを確認したりするがトイレが壊れた様子もない。試しに隣にある洗面台の蛇口をひねるがここも水が出ない。朝起きた時は問題なく使えたのになぜ水が出ないのか。半分パニックになりながら朝からの行動を思い返す。朝起きた時はトイレの水も流れており何も問題なかった。その後、たしか顔を洗って、水を、止めた。

信じられないことに、私が水を止めてわずか一時間ちょっとの間に凍りついてしまったのだ。夜の間さえ凍らなければ大丈夫と高をくくっていたので不意を突かれてショックも大きい。

その後、流れないトイレの配管にお湯をかけたりトイレの中で暖房を付けたりして、数時間かかってなんとか流すことができた。なにも考えずに止めた水でまさかこんなことになるとは思わなかった。

トイレに限らず、自分だけは大丈夫と油断することはよくある。大阪府内でこんな経験をする人は少ないだろうが、誰もが必ず経験するにも関わらずほとんどの人が自分だけは大丈夫と思っていることがある。それが死ではないか。

日蓮聖人も「先臨終の事を習て後に他事を習べし」とおっしゃっている。まだまだ先と思わず、よい臨終を迎えるにはどうすればいいのか、よりよく生きるために考えていきたい。