12月の法話 知ってるつもり/植田 観肇


 ご縁があってアメリカの日蓮宗のお寺でしばらくお世話になっている。

 アメリカではクリスチャンが多く、毎週日曜日に教会へ通うのが一般的だ。そのため、お寺でも日曜日にはご信者様が集まり一緒にお勤めを行う。

 小さなお寺だったこともあり、お勤めの後はお茶や軽食を取りながら交流を深めるなど、和気あいあいとした雰囲気であった。

 私も、お勤めが終わってほっとしており、完全に気が抜けた状態でお茶をすすっていた。ちなみに私は英語は苦手で、

大学受験以来全く勉強していないので、かなり集中しないと何を言っているのか分からない状態であった。

 一息ついたので、一生懸命みんなの会話の内容を聞いてみると、なんと、仏教についての質問が飛び交っていた。質問は私の方にも向けられて「カルマとは何か」「縁とは何か」から始まり「死んだら仏教ではどうなる」「なんであなたはベジタリアンではないの」など矢継ぎ早に質問を受けて、日本語で答えるのも難しい質問に、しどろもどろで冷や汗をかきながらも、何とか回答した。

 日本でも仏教について質問されることはあるが、基本的な事ほどいわゆる「常識」となっており、質問は少ない。アメリカでは仏教の知識は一般的ではないためこのような質問が多いのだろう。だが私自身も大変勉強になった。私達は「常識」をあえて聞くのは格好悪いと感じたり、なんとなく納得したつもりになってはいないだろうか。

  日蓮聖人は、富木常忍公への手紙の中で『我が門下は夜は眠りを断ち、昼は暇を止めて之を案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔ゆる事なかれ』とおっしゃっている。正しい教えとはどのようなものか、後悔しないように眠る間をも惜しんで勉強しなさいという厳しいお言葉である。

 基本がしっかりしていないとどれだけ積み上げてもすぐに崩れてしまう。改めて基礎を考える良いきっかけとなった。